シンプレクスは、証券会社や銀行の取引の最前線(フロント業務)のシステムで知られる会社です。1997年、外資系証券で金融ITを手がけていた金子英樹氏らが創業しました。
この会社の来歴には、急成長、踊り場、非公開化、再上場という、成長企業がたどりうる局面がほぼすべて入っています。それぞれの局面で何を判断したのかを順に追い、最後に候補者への語り方をまとめます。
金子英樹氏は1963年に東京で生まれ、一橋大学法学部を卒業しました。1987年、コンサルタントを志してアーサー・アンダーセン(現アクセンチュア)に入社し、生命保険会社のシステム開発などにプログラマーとして携わります。米国シカゴの本社勤務も経験しました。
1990年に退社すると、米国での上司に誘われ、トレーディングツールを開発するシリコンバレーのスタートアップに加わります。ここで東京オフィスの立ち上げを担い、金融の面白さに目覚めたと同社は紹介しています。
1991年には、当時「世界最強の投資銀行」とも呼ばれたソロモン・ブラザーズ・アジア証券(現シティグループ証券)に移ります。情報システム部門を経て、デリバティブの分析部門でヴァイスプレジデントを務めました。
システム開発のコンサル、スタートアップ、外資系投資銀行。三つの場所で、ITと金融の両方を現場で経験したことが、そのまま事業の設計図になりました。
金子氏が外資系企業で感じたのは、日本のチームの実力の高さだったといいます。ニューヨークやロンドン、シリコンバレーの金融・ITのプロと十分に競争できる。それなのに国としての日本は、金融もITも「二流」と見られていました。
原因を突き詰めると、個人の能力ではなく、日本特有の企業経営や業界の構造に行き着く。それなら自分で会社を作り、最高のチームを組めばいい。1997年9月、東京都港区でシンプレクス・リスク・マネジメントが設立されました。2000年2月に社名をシンプレクス・テクノロジーに変え、同年に金子氏が代表取締役社長に就いています。
創業当初の顧客は証券会社です。ソロモンで扱っていたようなトレーディングやリスク管理のシステムを、日本の金融機関向けに提案し、作りました。
主な出来事を並べます。上場→非公開化→再上場という流れと、顧客層が証券→銀行→FX→保険→暗号資産と広がっていく流れの、二本の線で読むと整理しやすくなります。
創業からの成長を支えたのは、金融工学を理解したうえで、トレーディングシステムを提案し、作れる会社が、国内にほとんどなかったという事実です。
デリバティブの価格計算やリスク管理は、商品の仕組みも規制も複雑です。業務が分かるだけでも、プログラムが書けるだけでも足りません。両方が分かる人材が少ないことが、そのまま参入障壁になりました。
同社は、このニッチな領域でトップを取ります。特徴的なのは、専門の営業部隊を持たなかったことです。その代わりにプロジェクトマネジャーが利用者と直接向き合い、刺さる提案をしました。結果として、大手金融機関のほとんどを顧客にしたと同社は説明しています。
もう一つの柱が、新卒の採用と育成です。金融とITの両方が分かる人材は、市場から採るだけでは足りません。同社は早くから新卒採用を本格化させ、自社で育てる道を選びました。
2002年2月にJASDAQへ、2004年5月に東証二部へ、そして2005年9月に東証一部へ。創業から8年での一部上場は、当時の独立系IT企業としては速い部類です。
この間に、顧客層も広げています。2001年には銀行向け、2003年にはFX業者向けの提供を始めました。2005年には、複数の金融機関が同じ仕組みを使える共同利用型のサービスも始めています。一社ごとの個別開発だけでなく、仕組みを横に展開する形です。
2010年10月には持株会社体制に移り、社名をシンプレクス・ホールディングスに変えました。ここまでは、絵に描いたような成長企業の道筋でした。
ところが、2010年3月期を境に成長が止まります。大手金融機関向けのニッチなシステム構築が、ひととおり行き渡ったためです。
同社はより本質的な原因として、自らのブランドを挙げています。「他社にできない、ニッチで難しい案件をやる会社」という評判が強く浸透した結果、声がかかる範囲そのものが狭くなっていたのです。強みとして築いた評判が、成長の天井にもなっていました。
一方で、2008年のリーマン・ショックを受けて、金融機関はリスク管理の強化を迫られていました。トレーディングとリスク管理を統合的に扱えるワンプラットフォームが求められる流れです。
そこで同社は方針を大きく変えます。現場の精鋭をプロジェクトから外して営業部隊を作り、大手金融機関の市場部門に向けて、今後5年間のITロードマップ作りを無料で支援することから始めました。ロードマップをもとに、数年後に動くプラットフォーム全体の構築を請け負う算段です。
精鋭を現場から外せば、そのあいだの業績は落ちる可能性が高い。しかも当時は東日本大震災の影響もあり、日経平均株価は1万円を割る水準で、同社の株価も下がり続けていました。
同社は、業績の停滞による株価の下落リスクを、既存の株主に負わせることはできないと判断します。2013年10月、MBO(経営陣による買収)で東証一部の上場を廃止しました。
MBOで掲げたテーマは二つです。既存事業の突破と、新規事業の立ち上げ。上場企業のままでは四半期ごとの業績に縛られ、腰を据えた作り直しが難しい。一度市場を降りて、時間を買う判断でした。
上場を「ゴール」ではなく、事業のための手段として扱った例です。上場していることを会社の評価基準にしがちな候補者に、別の見方を示す材料になります。
非公開化のあと、リスク管理強化の追い風もあって既存事業は伸び、いくつかの新規事業も軌道に乗りました。2014年にはSCKホールディングスとの合併を経て社名をシンプレクスとし、2016年12月に株式移転で改めてシンプレクス・ホールディングスを設立しています。
2018年には暗号資産交換業者向けのシステムを、2021年4月には戦略・DXコンサルティングを始めました。金融の最前線で磨いた「上流から開発・運用まで一気通貫で持つ」形を、金融以外の業界にも広げる試みです。
そして2021年9月、東証一部に再上場します。同社は、自らのビジネスモデルの再現性が新規事業でも証明されたという確信を持って市場に戻った、と説明しています。
現在のグループには、システムのシンプレクス、コンサルティングのXspear Consulting、AIのDeep Perceptなどが並びます。2026年3月期の連結売上高は約587億円です。
出所:シンプレクス・ホールディングス 有価証券報告書・公表資料をもとにした集計。数値は各時点で公表されたもの。
候補者からよく比べられる会社と並べます。どの会社も「上流から実装まで」を掲げますが、どこに軸足を置いているかが違います。
| シンプレクス | フューチャー | アクセンチュア | |
|---|---|---|---|
| 創業 | 1997年(日本) | 1989年(日本) | 1989年(米国、前身はアーサー・アンダーセン) |
| 出発点 | 外資系証券の金融IT | システム実装の現場 | 会計事務所のコンサル部門 |
| 得意領域 | 金融のフロント業務、そこから他業界へ | 業界を問わない業務改革と基幹システム | 戦略から実装・運用まで全方位 |
| 規模感 | 中堅(売上 約587億円) | 中堅(売上 約760億円) | グローバル最大級 |
| 向く候補者像 | 金融とITの両方を武器にしたい人 | 技術を手放さずに上流へ行きたい人 | 大規模案件と幅広いテーマを経験したい人 |
金子氏の出身であるアーサー・アンダーセンは、アクセンチュアの前身です。アクセンチュアの創業ストーリー、フューチャーの創業ストーリーとあわせて読むと、日本のITコンサルの系譜が見えてきます。
シンプレクスを紹介するとき、「金融系のIT企業」だけでは魅力が伝わりません。来歴のなかから、候補者に合った切り口を選んで話すと効果的です。
「シンプレクスは、金融とITの両方が分かる人がほとんどいない領域で勝ってきた会社です。あなたは片方をすでに持っている。もう片方を身につけると、市場でかなり希少な人材になります。」
金融機関のフロント部門や、SIerで金融系の案件を経験した候補者には、専門の掛け合わせという軸で話すと響きます。片方の専門しかない状態から、両方を持つ状態への移行を、キャリアの物語として描いてもらいましょう。
「上場しているかどうか」「成長しているかどうか」で会社を見がちな候補者には、2010年の踊り場とMBOの話が役に立ちます。停滞をどう認識し、何を捨てて立て直したのか。会社を見るときの問いを一段深くしてもらうきっかけになります。
同社は新卒採用と育成に力を入れてきた会社でもあります。中途の候補者には、新卒から育った社員と同じ土俵で成果を問われる環境であることも、事前に伝えておくと入社後のずれを防げます。
シンプレクスは1997年、ITと金融の両方を現場で経験した金子英樹氏らが創業した。両方が分かる人材の少なさを参入障壁にして急成長したが、2010年に成長が止まると、精鋭を外して営業部隊を作る方針転換と、2013年のMBOによる非公開化を選んだ。事業を立て直して2021年に再上場し、現在は金融以外の業界にも一気通貫の形を広げている。