結論|分林保弘とは?分林保弘(わけばやし・やすひろ、1943〜)は、日本M&Aセンターの創業者です。
この記事の要点
- 分林保弘は日本M&Aセンターの創業者・名誉会長。
- 分林保弘は営業の現場で中小企業の後継者問題を見つけ、1991年に全国の会計事務所と共同で日本M&Aセンターを設立した。M&Aを事業承継と定義し直し、販路と信頼を持って新しい市場を作った。
分林保弘(わけばやし・やすひろ、1943〜)は、日本M&Aセンターの創業者です。京都府出身、立命館大学卒業後に日本オリベッティで営業を担当。会計事務所とのネットワークを通じて中小企業の後継者問題を知り、1991年に全国の会計事務所と共同で日本M&Aセンターを設立。中小企業のM&Aを事業承継の手段として定着させました。
プロフィール|分林保弘の経歴
1943
京都府に生まれる
1960年代
立命館大学卒業。日本オリベッティに入社
1980年代
会計事務所向けのシステム営業で全国の事務所と関係を築く
1991
日本M&Aセンターを設立(48歳)
2006
東証マザーズに上場。翌年東証一部
2010年代〜
中小企業M&Aの最大手に。海外展開も
営業マンが見つけた「後継者がいない」
分林は日本オリベッティで会計事務所にシステムを売る営業でした。全国の会計事務所を回るうちに、顧問先の中小企業に後継者がいないという問題が、あらゆる地域で起きていることを知ります。廃業ではなくM&Aで会社を残す。営業の現場で見つけた課題が事業になりました(創業ストーリー)。
会計事務所と、一緒に作った
日本M&Aセンターは、分林一人ではなく、全国の会計事務所の出資で設立されました。案件は会計事務所から紹介され、会計事務所が信頼の担保になる。販路と信頼を最初から持って始めたことが、M&A仲介という新しい市場を立ち上げられた理由です。
M&Aを「事業承継」と定義した
大企業の買収を意味していたM&Aを、中小企業の事業承継の手段として定義し直したのが分林の発明です。言葉の意味を変えたことで、地方の経営者がM&Aを選択肢として考えられるようになりました。
エージェントの視点|この人物像を候補者にどう使うか
M&A仲介は、人材紹介と同じ成功報酬型の仲介ビジネスです。両者を比較して構造を語れると、候補者(特にM&A仲介への転職希望者)への説明に厚みが出ます。M&A業界のキャリアはM&A業界のキャリア解説を参照してください。
よくある質問
A日本M&Aセンターの創業者です。日本オリベッティの営業で全国の会計事務所と関係を築き、1991年に会計事務所と共同で設立しました。
A大企業の買収を意味していたM&Aを、中小企業の事業承継の手段として定義し直し、会計事務所からの紹介と信頼を土台に市場を作ったことです。
まとめ
分林保弘は営業の現場で中小企業の後継者問題を見つけ、1991年に全国の会計事務所と共同で日本M&Aセンターを設立した。M&Aを事業承継と定義し直し、販路と信頼を持って新しい市場を作った。
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執筆・編集: THE AGENT 編集部
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