日本M&Aセンターは、コンピュータの営業マンが会計事務所と築いた人脈から生まれました。1991年当時、中小企業のM&Aは「身売り」という後ろ暗い言葉で語られていました。それを「事業承継の選択肢」に変えたのがこの会社です。
※本記事は当該企業の公式サイト(沿革・創業ストーリー)、有価証券報告書、Wikipedia日本語版・英語版、経営者インタビュー記事等の公開情報をもとに編集部が構成しました(2026年9月時点)。年次は資料により差異がある項目があり、複数の出典で確認できた年を採用しています。
分林保弘は1943年、京都府生まれ。立命館大学経営学部を卒業し、1966年に外資系コンピューターメーカーの日本オリベッティへ入社します。担当したのは会計事務所。全国の公認会計士・税理士に会計システムを売る仕事でした。
この仕事のなかで、彼は繰り返し同じ話を聞きます。顧問先の中小企業に後継者がいない。経営者は高齢化しているのに、子どもは継がない。優れた技術も従業員も取引先もあるのに、会社が消えていく。
当時、中小企業のM&Aは「身売り」という言葉で語られる領域でした。会社を売ることは失敗の証であり、口にするのも憚られる。しかし分林は、これを後継者問題を解決する手段として位置づけ直せると考えます。
1991年、分林は大阪で日本エム・アンド・エー・センターを設立します。特筆すべきは設立の形でした。個人での起業ではなく、全国の公認会計士・税理士の出資を集めて共同で設立したのです。
この判断が、後の競争優位を決めました。M&A仲介で最も難しいのは案件情報の獲得です。会社を売りたい経営者は、その意思を簡単には表に出しません。しかし顧問税理士には相談する。会計事務所こそが、事業承継の相談が最初に持ち込まれる場所だったのです。
翌1992年、日本経済新聞の一面広告で「後継社」という概念を提示。約400社からの問い合わせを獲得しました。「身売り」ではなく「後継社を見つける」という言い換えが、経営者の心理的な壁を下げたのです。
日本オリベッティに入社
会計事務所担当として全国の公認会計士・税理士との人脈を築きました。これが後の事業基盤になります。
日本エム・アンド・エー・センターを設立
分林保弘が大阪で、全国の会計事務所の出資を集めて共同設立しました。
日経一面広告で「後継社」を提示
「身売り」ではない言葉を用意したことで、約400社から問い合わせが集まりました。
全国金融M&A研究会を発足
地方銀行との関係を制度化し、情報網を二層構造にしました。
東証マザーズに上場
東証一部に上場
中小企業M&A仲介として初の主要市場上場企業となりました。
東南アジアへ拠点を展開
シンガポール・インドネシア・マレーシア・ベトナムに拠点を設けました。
持株会社体制へ移行
不正会計が発覚
移行の2か月後に発覚し、品質管理の厳格化を迫られることになりました。
日本M&Aセンターの主な沿革
同社の事業構造を一言でいえば、案件情報が自然に集まる仕組みです。
第一層が会計事務所。約1,000件規模の提携により、顧問先の事業承継の相談が持ち込まれます。第二層が地方銀行。2000年に全国金融M&A研究会を発足させ、全国の約9割に及ぶ地方銀行との提携関係を制度化しました。取引先企業の後継者問題を最も早く知る立場にあるのが、地域金融機関です。
M&A仲介は「売り手を探す営業力」で勝負しがちですが、同社は売り手が相談する相手と組むことで、その競争から降りました。創業者が持ち込んだ会計事務所の人脈が、そのまま事業インフラになったのです。
2021年12月、不正会計が発覚します。持株会社体制へ移行したわずか2か月後のことでした。成約の計上時期をめぐる問題で、品質管理体制の厳格化を迫られます。
加えて、市場環境も変わりました。中小企業M&Aの社会的認知が高まった結果、仲介業者が約700社に乱立。手数料の妥当性や利益相反への批判も強まり、業界全体が規律を問われる局面に入っています。2025年3月期は品質管理の厳格化による成約遅延も重なり、減収となりました。
「身売り」を「事業承継」に変えた会社が、今度は自らの仲介の質を問われている。これが現在地です。
Founder's Words
「『身売り』ではなく、後継社を見つける」
1992年の日本経済新聞一面広告で打ち出した概念です。同じ行為でも呼び方を変えることで、経営者の心理的な壁が下がり、約400社からの問い合わせにつながりました。言葉の設計が市場そのものを開いた例です。
日本M&Aセンターの創業は、「情報が集まる場所と組む」という戦略の教科書です。人材紹介でも同じ構造があります。候補者は転職を決める前に誰かに相談している。その相手と関係を作れるかどうかが、案件の量と質を決めます(リファラル設計の記事)。
もう一つ重要なのは言葉の力です。「身売り」を「後継社」と言い換えたことが、経営者の相談を引き出しました。私たちが候補者に転職を語るときの言葉選びも、まったく同じ性質を持っています。M&A業界への転職支援を行う方は、M&A業界のキャリア記事もあわせてご覧ください。
日本M&Aセンターは1991年、日本オリベッティで会計事務所を担当していた分林保弘が、全国の公認会計士・税理士と共同で設立した会社である。会計事務所と地方銀行という二層のネットワークで案件情報が集まる仕組みを作り、「身売り」を「後継社探し」と言い換えることで市場そのものを開いた。2021年の不正会計発覚以降は、仲介の質が問われる局面にある。
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