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Founding Story

マッキンゼーの​創業ストーリー・歴史創業100年、一人の​会計学教授と一人の​弁護士が​作ったもの

創業ストーリー 2026.09.13
この記事の要点

マッキンゼーの歴史は、そのままコンサルティング業界の歴史です。1926年にシカゴの会計学教授が開いた事務所から始まり、2026年で創業100年。1939年の分裂でカーニーが生まれ、業界の規範を作ったのは創業者ではなく、1933年に加わった一人の弁護士出身者でした。

  • 創業は1926年。会計を経営の意思決定に使うという発想から始まった。
  • 1939年の分裂で、マッキンゼーとカーニーという兄弟ファームが生まれた。
  • マービン・バウアーがクライアント優先・事実に立脚するといった規範を持ち込み、コンサルを専門職にした。
  • 1971年に東京へ。翌年入社した大前研一が、日本で戦略という考え方を広めた。
  • Up or Outとアルムナイの文化が、今日の採用と出口の広さを説明する。

Chapter 01創業会計と​エンジニアリングの交差点

FOUNDED
1926年
シカゴで創業
HISTORY
100年
2026年で創業100年
JAPAN
1971年
アジア初の拠点・東京
OFFICES
130超
世界の拠点(都市)
COUNTRIES
65以上
展開する国
BOWER ERA
17年
バウアーが経営を率いた期間

ジェームズ・O・マッキンゼー(James O. McKinsey)は、シカゴ大学の会計学教授でした。1926年、彼がシカゴで開いた事務所の看板には「accountants and management engineers(会計士・経営工学士事務所)」と書かれていました。

そこには、当時としては新しい考えがありました。会計士は経費を集計するだけの職業ではない。予算の数字を、経営の意思決定に使うべきだという考えです。彼は管理会計の父とも呼ばれます。

分析に長けたマッキンゼー(愛称「マック」)は、人付き合いは得意ではなかったと伝えられます。その隙間を埋めたのが、マーケティングと経営に通じ、誰とでも話せたアンドリュー・トーマス(トム)・カーニーでした。分析のマックと、関係づくりのトム。この組み合わせが事務所を大きくしていきます。

そして2026年、マッキンゼーは創業100年を迎えました。コンサルティングという職業そのものの歴史と、ほぼ重なる100年です。

Chapter 02分裂1937年の​急逝と、​1939年の分岐

事務所はライバルのScovell, Wellington & Companyと合併し、ニューヨークとボストンへ拠点を広げました。しかし、双方の文化と方針は大きく違っていました。

1937年、創業者マッキンゼーが肺炎で急逝します。48歳でした。残されたパートナーたちは運営方針で対立し、1939年、事務所は二つに分かれます。

LINEAGE
同じ事務所から生まれた、​マッキンゼーと​カーニー
James O. McKinsey & Co.1926年 シカゴで創業1937 創業者が急逝1939 分裂McKinsey & Co.ニューヨーク/バウアーMcKinsey, Kearneyシカゴ/カーニーA.T. Kearney1947年 名称を分ける今日のマッキンゼー65か国以上・130超の拠点今日のカーニー戦略とオペレーション
1947年、バウアーがシカゴ側から「マッキンゼー」の名称の権利を買い取り、両社は名前でも完全に分かれた。

ニューヨーク側を率いたのがマービン・バウアー、シカゴ側を率いたのがトム・カーニーです。今日のマッキンゼーとカーニーは、1926年の同じ事務所を共通の祖先に持つ兄弟にあたります(詳しくはカーニーの歴史)。

この分裂が、コンサルティング業界の最初の分岐点でした。一方は「経営トップへの助言」を、もう一方は「オペレーションの改善」を強みとして、別々の道を歩むことになります。

Chapter 03規範バウアーが​作った「プロフェッション」

マッキンゼーを今日の姿にしたのは、創業者ではなくマービン・バウアーだと言われます。ブラウン大学を出て、ハーバードで法学と経営学の学位を得た弁護士出身の人物です。

彼が目指したのは、コンサルティングを法律や医療と並ぶ専門職(プロフェッション)にすることでした。1950年から1967年まで経営を率い、その後も1992年まで在籍して、ファームの価値観を語り続けました。

THE BOWER CODE
バウアーが​持ち込んだ、4つの規範
CLIENT FIRST
クライアントの利益を先に置く
自社の売上より、クライアントにとって正しいことを優先する。引き受ける案件も、変化につながるものに限る。
FACT BASE
事実に立脚する
意見や経験則ではなく、事実と分析から結論を導く。今日のケース面接の作法の原点。
CONFIDENTIAL
機密を守る
クライアントの名前も、相談の中身も外に出さない。信頼が次の相談を生む。
PROFESSION
専門職として振る舞う
法律や医療と同じく、倫理と規範を持つ職業にする。「コンサル」を職業として確立した。
編集部が公開情報をもとに整理。バウアーは1933年に参画し、1950〜1967年に経営を率い、1992年まで在籍した。

今では当たり前に聞こえるこれらの規範は、当時の業界では当たり前ではありませんでした。バウアーは、「何を売るか」より先に「どう振る舞うか」を決めた人物です。

コンサルティングを「商売」から「職業」に変えたこと。それが、バウアーが業界に残した最大のものだった。

編集部の視点

もう一つの大きな決断が、1953年に始めたビジネススクール新卒の採用です。業界経験者を集めるのではなく、優秀な若手を採って自社で育てる。今日のコンサルファームの採用モデルは、ここから始まりました。

Chapter 04方法論事実と分析で​考える作法

マッキンゼーは、問題解決の「型」を業界に広めたファームでもあります。事実に立脚する(Fact-base)、分析的に考える(Analytical approach)という姿勢を、明確な方法論として形にしました。

考え方中身いま現れる場所
仮説から始める答えの見立てを先に置き、事実で検証する仮説思考
漏れなく、重なりなく論点を重複と抜け漏れなく分けるMECE・ロジックツリー
結論から伝える主張を頂点に、根拠を下に積むピラミッド原則(同社出身のバーバラ・ミントが体系化)
事実で語る意見ではなく数字と事実で議論するケース面接の評価基準

1964年には経営誌『マッキンゼー・クォータリー』を創刊し、1966年にはバウアー自身が経営書を著しました。考え方そのものを発信し、業界の標準にしていく。これも同社の歴史が生んだ強みです。

Chapter 05組織Up or Outと、​アルムナイ

UP OR OUT
昇進か、​退出か。​ピラミッドの形
パートナー
アソシエイト・
パートナー
エンゲージメント・
マネージャー
アナリスト/アソシエイト
↑ Up:一定の期間で上がるOut:上がれなければ社外へ →
人数の比率は実数ではなく、構造を示すためのイメージ。社外へ移った人は、卒業生(アルムナイ)としてネットワークに残る。

マッキンゼーは「Up or Out(昇進か、退出か)」の原則で知られます。一定の期間で次の職位に上がれなければ、社外へ移ることが前提です。厳しく聞こえますが、この仕組みには二つの意味があります。

一つは、組織が常に若く保たれること。もう一つは、社外に出た人が各業界で要職に就き、卒業生(アルムナイ)のネットワークがファームの財産になることです。

同社を去ることは「失敗」ではなく、次のキャリアへの移行として扱われます。出身者が事業会社の経営層やスタートアップの創業者として活躍する例が多いのは、この文化の結果です。

Chapter 06年表マッキンゼーの100年

TIMELINE
マッキンゼーの​100年
FOUNDING ─ 創業の時代
1926
シカゴで創業シカゴ大学の会計学教授が「会計士・経営工学士事務所」を開く
1933
マービン・バウアーが参画弁護士出身。のちに業界の規範を作る
1937
創業者マッキンゼーが急逝48歳。残されたパートナーの方針が割れる
1939
事務所が分裂ニューヨーク側をバウアー、シカゴ側をカーニーが率いる
1947
名称の権利を取得シカゴ側はA.T.カーニーへ改称
BOWER ERA ─ バウアーの時代
1950
バウアーが経営トップに1967年まで率い、ファームの価値観を体系化する
1953
MBA新卒の採用を始める経験者ではなく、優秀な若手を育てる方針へ
1959
ロンドンに初の海外拠点その後ジュネーブ、アムステルダム、パリへと続く
1964
『マッキンゼー・クォータリー』創刊経営の知見を発信する媒体を持つ
JAPAN ─ 日本へ
1971
東京オフィスを開設アジア初の拠点。BCGの東京進出から5年後
1972
大前研一が入社1995年まで在籍し、日本の拠点を率いた
2018
大阪(関西)オフィスを開設
TODAY ─ 現在
2026
創業100年65か国以上・130超の拠点を持つファームに
年は公開情報で複数の出典が一致したものを採用。スクロールに合わせて線が伸びる。

100年を並べると、転機は三つに絞られます。1939年の分裂でファームの方向が定まり、1950年代のバウアーの時代に規範と採用の型が固まり、1959年からの海外展開で世界のファームになりました。

Chapter 07日本1971年、​アジア初の​拠点として

1971年、東京オフィスがアジア初の拠点として開設されます。ライバルのBCGが1966年に東京へ進出してから5年後のことでした。

翌1972年、日立製作所の技術者だった大前研一が入社します。MITで原子力工学の博士号を取った異色の経歴を持ち、1995年まで在籍して日本の拠点を率いました。彼の著作は、日本で「戦略」という言葉を広めるきっかけにもなりました。

BCGマッキンゼー
東京進出1966年(本社以外で最初の拠点)1971年(アジア初の拠点)
日本で広めたもの経験曲線・PPMなどの戦略の型経営トップへの助言と、戦略という考え方

2018年には大阪に関西オフィスを開設しました。現在は世界65か国以上・130超の拠点を持ち、日本では多くの大手企業の経営層を支援しています。採用の競争率は世界で最も厳しい部類とされ、日本の拠点では英語でのケース面接が課されることもあります。

Chapter 08なぜこの​規範が、​100年生き残ったのか

バウアーの原則が生き残った理由は、それが倫理だからではなく、事業として合理的だったからです。

コンサルティングは成果物が目に見えない商品です。提言の質は、実行してみるまで分からない。この不確実性の中で買い手が頼れるのは、売り手が信頼できるかどうかだけです。

だから「自社の利益より優先する」「迎合しない」「漏らさない」という規範は、信頼を担保として売るための仕組みでした。短期の案件を断ることで、長期の関係を得る。この構造を最初に設計したのが、バウアーだったということです。

同じ構造は、人材紹介にもあります。候補者にとって、エージェントの提案の質は入社してみるまで分からない。だから信頼が担保になる。「決めさせる」ことより「合わないと言える」ことが、長期の関係を作る:バウアーが80年前に発明した論理は、そのまま現代のエージェントに当てはまります(価値あるエージェントの7条件)。

Chapter 09実務候補者に、この​来歴をどう語るか

100年の歴史は、そのまま今日の同社の性格を説明します。候補者にマッキンゼーを紹介するとき、年収やブランドではなく来歴を語れると、志望動機の質が変わります。

歴史事実に立脚する規範
今日の特徴議論はすべて事実と分析から
選考で問われることケース面接での構造化と、数字への感度
歴史プロフェッションという自己定義
今日の特徴クライアント優先・機密の徹底
選考で問われること誠実さと、判断の一貫性
歴史新卒から育てる採用
今日の特徴若手に大きな裁量
選考で問われること伸びしろと学習の速さ
歴史Up or Out
今日の特徴早い成長と、出口の広さ
選考で問われること数年後にどうなりたいか

特に最後の行は大切です。Up or Outの環境では、「入った後にどうなりたいか」を自分の言葉で語れる人が強い。エージェントは、候補者の中長期のキャリア像を一緒に言語化しておくと、面接の質が上がります。

他のファームとの比較は歴史シリーズのハブ、年収の実像はコンサルの年収記事で扱っています。

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よくある質問

Q
マッキンゼーの創業者は誰ですか?
A
シカゴ大学の会計学教授ジェームズ・O・マッキンゼーです。1926年にシカゴで「会計士・経営工学士事務所」を開業しました。1937年に48歳で急逝しています。
Q
マッキンゼーは創業何年ですか?
A
1926年創業で、2026年に創業100年を迎えました。
Q
マッキンゼーとA.T.カーニーの関係は?
A
もともと同じ事務所でした。1939年の分裂でニューヨーク側をマービン・バウアーが、シカゴ側をトム・カーニーが率い、1947年にバウアーがマッキンゼーの名称の権利を買い取ったことで完全に分かれました。
Q
マービン・バウアーは何をした人ですか?
A
1933年に参画し、1950年から1967年まで経営を率いた人物です。クライアント優先、事実に立脚する、機密を守るといった規範を持ち込み、コンサルティングを専門職(プロフェッション)として確立しました。
Q
マッキンゼーの日本進出はいつですか?
A
1971年にアジア初の拠点として東京オフィスを開設しました。BCGの東京進出(1966年)から5年後です。翌1972年に大前研一が入社し、のちに日本の拠点を率いました。
Q
Up or Outとは何ですか?
A
一定の期間で次の職位に上がれなければ社外へ移ることを前提とする原則です。組織を若く保ち、出身者のネットワークを財産にする仕組みとして機能しています。
Q
マッキンゼーの原則とは何ですか?
A
クライアントの利益を自社の利益より優先する、事実に基づいて判断する、独立した判断を守り必要なら反対を述べる、守秘を徹底する:の4つです。バウアーが確立し、いまも戦略ファームの標準になっています。
Q
なぜマッキンゼーは実績を公開しないのですか?
A
バウアーが定めた守秘の原則によるものです。広告と実績誇示が普通だった時代に、クライアント名や案件内容を公開しないことを規範としました。信頼を担保として売るための事業設計でもあります。
まとめ

マッキンゼーは1926年、シカゴ大学の会計学教授が開いた事務所に始まり、2026年で創業100年を迎えた。1939年の分裂でカーニーが分かれ、残った側をマービン・バウアーが率いて、クライアント優先・事実に立脚するといった規範でコンサルティングを専門職に押し上げた。1971年のアジア初拠点・東京開設は、日本の経営コンサルティング市場の起点でもある。

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KEY POINTS
この記事のポイント
1会計とエンジニアリングの交差点1926年、彼がシカゴで開いた事務所の看板には 「accountants and management engineers(会計士・経営工学士事務所)」 と書かれていました。そこには、当時としては新しい考えがありました。
21937年の急逝と、1939年の分岐事務所はライバルのScovell, Wellington & Companyと合併し、ニューヨークとボストンへ拠点を広げました。しかし、双方の文化と方針は大きく違っていました。
3バウアーが作った「プロフェッション」マッキンゼーを今日の姿にしたのは、創業者ではなく マービン・バウアー だと言われます。ブラウン大学を出て、ハーバードで法学と経営学の学位を得た弁護士出身の人物です。

この記事の情報源

  • 企業の公式サイト(沿革、会社概要、代表メッセージ)
  • 創業者・経営者が登場した公開インタビューおよび寄稿
  • 新聞・経済メディアの報道
確かめられていないこと創業当時の社内の詳しい経緯や、公表されていない数値については、一次資料で裏づけられないため記載していません。本文中の「〜と語られる」「〜とされる」という表現は、関係者の証言や報道にもとづくもので、公式に確認されたものではありません。
記事中の数値は、各時点で公表されていたものです。最新の状況は各社の開示をご確認ください。本サイトの方針は免責事項およびポリシーに記載しています。
本記事は編集部の支援実務の経験に基づく見解です。個別の状況により最適な進め方は異なります。
THE
AGENT
執筆・編集: THE AGENT 編集部
運営: 株式会社Sync Ascent(事業立ち上げ・採用コンサルティング)。数千名規模のキャリア支援と人材紹介事業立ち上げの実務経験に基づき、現場で使える情報だけをお届けします。|最終更新: 2026.09.05
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