楽天の始まりは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災でした。故郷の神戸が瓦礫と化し、敬愛する叔父叔母を失った一人の銀行員が、エリートコースを捨てて起業を決意します。2年後に開いたインターネットショッピングモールの出店数は、わずか13店舗でした。
※本記事は当該企業の公式サイト(沿革・創業ストーリー)、有価証券報告書、Wikipedia日本語版・英語版、経営者インタビュー記事等の公開情報をもとに編集部が構成しました(2026年9月時点)。年次は資料により差異がある項目があり、複数の出典で確認できた年を採用しています。
三木谷浩史は1965年、神戸市生まれ。1988年に一橋大学商学部を卒業して日本興業銀行に入行し、1993年にはハーバード大学でMBAを取得しました。まさにエリートコースです。
その人生を変えたのが1995年1月17日の阪神・淡路大震災でした。故郷の神戸が瓦礫の山と化し、敬愛していた叔父と叔母を失います。「人生は一度きりだ」。彼はまもなく起業を決意しました。
1995年11月に興銀を退職し、コンサルティング会社クリムゾングループを設立。慶應大学院を出たばかりの本城愼之介と2人だけの起業でした。周囲は驚きましたが、本人の説明は簡潔だったと伝えられます。「日本を元気にしたいからだ」。
当初検討していた事業はインターネットに限りませんでした。地ビールの小規模醸造所の全国展開、アメリカの天然酵母ベーカリーのフランチャイズ、コンタクトレンズの並行輸入100を超えるアイデアがあったといいます。
そこから選ばれたのが、インターネットのショッピングモールでした。基準は3つ。元手が掛からず、将来性があり、社会に新しい価値を生み出せること。
1997年2月7日、東京都港区に資本金1,000万円で株式会社エム・ディー・エムを設立。そして同年5月1日、楽天市場が出店わずか13店舗で開業します。社員は三木谷を入れて6人でした。
阪神・淡路大震災
故郷の神戸が被災し、叔父と叔母を失ったことが起業を決意する転機となりました。
日本興業銀行を退職
コンサルティング会社クリムゾングループを2人で設立しました。
エム・ディー・エムを設立
東京都港区に資本金1,000万円で設立し、仮想商店街の構築に着手しました。
楽天市場が開業
出店はわずか13店舗、社員は6人。初月の売上は数万円程度でした。
楽天株式会社へ商号変更
出店数は1,800店規模まで拡大しました。
株式を店頭公開
495億円を調達し、同年インフォシークを買収して総合メディア企業化へ動きます。
東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生
プロ野球に50年ぶりの新規球団として参入しました。
携帯キャリア事業へ参入
楽天モバイルとして通信事業に本格参入し、経済圏を拡大しています。
楽天の主な沿革
当時、百貨店系のバーチャルモールは月100万円単位の出店料を取っていました。対して楽天が提示したのは月額5万円の固定料金です。
さらに、複雑なプログラミングを必要としない編集ツール(RMS)を提供しました。この2つによって、個人商店主や農家、蔵元までがインターネットに店を出せるようになります。「大企業ではなく中小企業や個人が新しい社会をつくる」という三木谷の信念が、そのまま価格設計になっていました。
初年度の出店開拓は、営業メンバーが商店街を一軒ずつ訪ね歩く地上戦です。1998年末に約320店、1999年末に約1,800店、2000年末には約4,800店へ。初月の売上は数万円だった事業が、今日の巨大な経済圏へと育っていきました。
Founder's Words
「僕は日本を元気にしたいからだ」
日本興業銀行を辞めた理由を問われたときの答えとして伝えられている言葉です。大企業ではなく中小企業や個人が新しい社会をつくるという信念が、月5万円という出店料の設計に直結しています。
楽天の創業は、「誰のための事業か」が価格と設計に表れることを示しています。月5万円という数字は単なる安売りではなく、届けたい相手を決めた結果でした。
候補者に楽天を語るとき、EC・金融・モバイルという事業の広さだけでなく、震災を機に「日本を元気にしたい」と考えた創業者の動機と、それが13店舗からの地上戦につながった事実を伝えられると、企業理解の深さが変わります。
楽天は、阪神・淡路大震災で親族を失った銀行員が人生を見直し、1997年に6人で始めた会社である。楽天市場の開業時の出店はわずか13店舗、初月の売上は数万円だった。月5万円という価格と誰でも使える編集ツールで個人商店を取り込む設計が、今日の経済圏の出発点になっている。
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