DeNAの創業は、クライアントの「自分でやれば良いのではないか」という一言から始まりました。マッキンゼーのパートナーだった南場智子は、その瞬間「地面から足が10cm浮き上がった気分だった」と語っています。
※本記事は当該企業の公式サイト(沿革・創業ストーリー)、有価証券報告書、Wikipedia日本語版・英語版、経営者インタビュー記事等の公開情報をもとに編集部が構成しました(2026年9月時点)。年次は資料により差異がある項目があり、複数の出典で確認できた年を採用しています。
南場智子は1986年に津田塾大学を卒業してマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。一度退職してハーバードでMBAを取得し、復職後の1996年、日本人女性としては歴代3人目となるパートナー(役員)に就任します。
インターネット絡みの新規事業を手掛けていたあるとき、彼女はクライアントに「どうしてオークションをやらないのか」と提案しました。返ってきたのは、こんな言葉でした。「自分でやれば良いのではないか」。
彼女は後にこう語っています。「そういう選択肢があるのか!と地面から足が10cm浮き上がった気分だった」。コンサルタントは事業計画を徹夜で作っても、実行の段階では関われない。「自分が作ったビジネスモデルと付き合い倒したい」。それが起業の動機でした。
1999年3月、南場は職場の仲間を誘って独立します。共同設立者は、エンジェル投資家となる川田尚吾と、のちに英国でQuipperを創業する渡辺雅之。3人は寝る間も惜しんで働いたといいます。
南場のまっすぐなメッセージに動かされ、IBMやオラクルといった大手を辞めて加わるメンバーも現れました。3人が6人になり、8人になり:そうして少しずつ仲間が増えていきます。
同年11月、インターネットオークション「ビッダーズ」を開始。しかし、ここからが苦難の始まりでした。
オークション「ビッダーズ」を開始
DeNA初のサービスですが、ヤフオクのネットワーク効果に阻まれ苦戦が続きます。
モバオクを開始
携帯電話向けのオークションで、モバイルに資源を移す転換点となりました。
東証マザーズに上場
モバゲータウンを開始
モバイルに特化したSNSで、約15か月で登録会員数500万人に達しました。
東証一部へ上場
創業8年での到達となりました。
「怪盗ロワイヤル」でアイテム課金を確立
広告依存から自社課金への転換が、その後10年の収益構造を決めました。
横浜ベイスターズを買収
プロ野球球団の運営に参入しました。
DeNAの主な沿革
南場は後年、「1999年に創業したけれど、最初の5年程は全然売上が出なかった」と率直に語っています。ビッダーズはヤフーオークションのネットワーク効果に阻まれ、シェアを取れませんでした。
同社を救ったのは、創業事業への固執を捨てられたことです。借入に頼らない資金調達で財務の余力を残していたため、PCからモバイルへ資源を移す時間を買うことができました。2004年のモバオク、2006年のモバゲータウンでモバイル基盤を固め、2009年の「怪盗ロワイヤル」でアイテム課金という収益モデルを確立します。
南場の著書のタイトルは『不格好経営』。華やかな成功譚ではなく、失敗と試行錯誤の記録としてこの会社の歴史を語る姿勢そのものが、同社の文化を表しています。
Founder's Words
「自分が作ったビジネスモデルと付き合い倒したい」
コンサルタントから起業家へ転じた動機を語った言葉です。提案で終わらず、事業が世に出て人の役に立ち、収益が上がるところまで見届けたい。この一文は、コンサル出身者の転職動機として今も最も引用されます。
DeNAの物語は、「提案する側」から「実行する側」へ移ることの意味を最も鮮明に示す事例です。コンサルタントからの転身を考える候補者にとって、南場智子の「自分が作ったビジネスモデルと付き合い倒したい」という言葉は、志望動機を言語化する強力な補助線になります。
同時に、創業から5年売上が出なかったという事実も伝えるべきです。事業づくりは提案の延長ではなく、粘り強く方向転換を続ける営みである。この現実を踏まえた志望動機は、選考でも説得力を持ちます。コンサルからの転職の全体像はコンサル転職ガイドをどうぞ。
DeNAは1999年、マッキンゼーのパートナーだった南場智子がクライアントの「自分でやれば良いのではないか」という一言をきっかけに創業した。最初の事業ビッダーズは5年ほど売上が出ず、モバイルへの資源集中と課金モデルの確立で転換した。『不格好経営』というタイトルが示すとおり、試行錯誤の記録として自らを語る文化を持つ。
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