「承諾いただけました。ありがとうございます!」
候補者から内定承諾の連絡をもらった瞬間。数か月の支援がようやく実を結び、企業にも報告を入れる。エージェントとして、一番ほっとする場面かもしれません。私自身も、何度もこの瞬間を経験してきました。
ただ、多くの転職を見届けてきた立場から、あえて言わせてください。エージェントの仕事で一番危ないのは、内定承諾から入社日までの「空白期間」です。
中途採用では、承諾から入社まで1〜3か月ほど空くことが珍しくありません。そしてこの期間に、承諾したはずの候補者の心は、静かに揺れています。承諾をゴールだと思って連絡の間隔を空けたエージェントほど、入社直前の辞退の連絡に驚くことになります。
意外に思われるかもしれませんが、候補者の不安が最も大きくなるのは、選考中ではありません。承諾した後です。
大きな決断のあとに「本当にこの選択で良かったのか」と感じる心の動きを、心理学では認知的不協和と呼びます。高い買い物をしたあとに、ほかの商品のレビューをつい見てしまう。あの感覚です。承諾ボタンを押したその夜から、候補者の頭にはこんな問いがよぎり始めます。
そしてこの揺れは、優秀な人ほど大きいものです。選択肢が多い人ほど、「選ばなかった道」も魅力的だからです。つまり、エージェントが一番大切に支援してきた候補者ほど、承諾後に揺れやすいということです。
揺れているこの期間に、外からの働きかけが集中します。
退職を伝えた瞬間から、本気の引き留めが始まる。昇給、昇格、異動の提案。これまで聞けなかった「ずっと期待していた」という言葉。
転職市場に出た優秀な人の情報は、想像以上に早く広がる。「まだ入社前なら」と、より良い条件の話が届くこともある。
「そのベンチャー、大丈夫なの?」。身近な人の何気ない言葉が、揺れている気持ちを大きくする。
選考中は、エージェントと候補者は毎週のように話しています。ところが承諾した途端、連絡が「入社書類の件」だけになる。エージェントからの声が消えた場所を、外からの声が埋めていくのです。
「おめでとうございます」で終わらせない。これから気持ちが揺れるのは自然なことだと、先に伝えておく。
引き留めの言葉を事前に共有し、交渉の日程と伝え方を一緒に決める。交渉の翌日には必ず連絡する。
企業に入社前の接点づくりを提案し、候補者と企業の橋渡しを続ける。入社日の朝に一言送る。
承諾をもらったら、「おめでとうございます」で終わらせずに、これから気持ちが揺れるのは自然なことだと先に伝えておきます。揺れたときに「自分だけがおかしいのでは」と一人で抱え込まず、エージェントに相談してもらうためです。
「承諾、本当におめでとうございます。ひとつだけお伝えさせてください。大きな決断のあとは、『本当にこれで良かったのかな』と迷うのが自然です。今の会社から引き留められることもあると思います。もし気持ちが揺れたら、どんな小さなことでも、まず私に話してください。」
候補者にとって、承諾後の最大の関門は「今の会社に退職を切り出すこと」です。引き留めに気持ちが揺れる。強い慰留にあって疲れてしまう。退職日が延びて、入社日が危うくなる。ここで、候補者を一人で戦わせてはいけません。
| タイミング | エージェントがやること |
|---|---|
| 退職を伝える前 | よくある引き留めの言葉(昇給・昇格・異動の提案)を事前に共有し、伝える日程と伝え方を一緒に決める |
| 退職を伝えた当日・翌日 | 必ず連絡して、どんな話があったかを聞く。揺れていれば、転職を決めた理由に一緒に立ち返る |
| 退職日の調整 | 入社日に影響しそうなら、早めに企業と調整する。候補者と企業の間に立って、無理のない日程をつくる |
カウンターオファーへの向き合い方はカウンターオファーへの対応でも扱っています。
承諾後の辞退がほとんど起きない企業は、この期間を「入社前オンボーディング」として設計しています。エージェントは、企業にこうした接点づくりを提案する立場にいます。
ポイントは、情報を渡すことではありません。「あなたを待っている」という気持ちを、途切れさせないことです。企業からの声と、エージェントからの声。その両方が届いている候補者は、外からの声に揺らぎにくくなります。
承諾後の辞退は、企業との信頼を大きく損ないます。返金規定のある契約なら売上にも響きますし、何より「このエージェントの紹介なら安心だ」という評価を失います。一方で、空白期間をきちんと伴走したエージェントは、企業からも候補者からも深く信頼されます。
入社前にチームとの関係ができている候補者は、初日から「はじめまして」がいりません。入社後の立ち上がりが早くなり、定着にもつながります。オンボーディングは、入社日からではなく、承諾日から始まっているのです。
私は、内定承諾を「クロージング」とは呼びたくないと考えています。承諾は契約の成立ではなく、信頼関係のスタートだからです。
エージェントをしていた頃、入社日を迎えた候補者の方から「今日から頑張ってきます」と連絡をいただく瞬間が、何よりもうれしいものでした。その連絡が来るかどうかは、承諾後の数か月をどう過ごしてもらえたかで決まっていたように思います。
エージェントの仕事の最後の詰めは、口説くことではありません。待つ間も、想い続けることです。
内定承諾は、ゴールではない。承諾後こそ候補者の不安は大きくなり、その時期に外からの働きかけが集中する。エージェントは、承諾の直後・退職交渉・入社日までの3つの場面で伴走し続け、企業との橋渡しを続ける。空白を放置しないエージェントが、候補者からも企業からも選ばれ続ける。
本記事は、筆者のnote「内定承諾から入社日までの「空白期間」が一番危ない。」(2026年7月14日、企業の採用担当者向け)を、転職エージェント向けに書き直したものです。
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