終戦から1年、東京がまだ焼け野原だった1946年。資本金19万円、社員20数名で始まった会社の設立趣意書には、利益計画でも生存戦略でもなく、こう書かれていました。「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」。
※本記事は当該企業の公式サイト(沿革・創業ストーリー)、有価証券報告書、Wikipedia日本語版・英語版、経営者インタビュー記事等の公開情報をもとに編集部が構成しました(2026年9月時点)。年次は資料により差異がある項目があり、複数の出典で確認できた年を採用しています。
終戦の年、井深大が勤めていた日本測定器は解散します。社員の多くが地方での自給自足を望むなか、井深は「東京に出なければ情報収集で後れをとる」と考えて上京しました。
1945年秋、知人のつてで、焼け残っていた日本橋の百貨店白木屋の3階に事務所を構え、「東京通信研究所」の看板を掲げます。旧日本測定器の同志約20人との出発でした。
ここで作っていたのが、家庭のラジオに付けると海外の短波放送が聞ける短波コンバーターです。ニュースに飢えていた人々に受け、事業は活況を呈します。さらに真空管電圧計が運輸省や逓信省に採用されて受注が伸び、法人化への道が開けました。
この井深を訪ねてきたのが盛田昭夫でした。愛知県常滑の造り酒屋の長男として生まれ、幼い頃から「お前は生まれた時から社長なんだ」と言われて育った人物です。大阪帝国大学で物理学を専攻し、海軍技術中尉として熱線誘導兵器の研究班で井深と共同研究をした縁がありました。
戦後、盛田は大学教授の勧めで講師となり、いずれは家業の十五代目当主になるはずでした。しかし井深の会社を紹介する新聞記事を目にしたことで人生が一転。井深とともに会社を興すことになります。
1946年5月7日、東京通信工業株式会社を設立。資本金は盛田家が出した19万円、社員20数名。井深は38歳、盛田は25歳でした。信用力を借りるため、元文部大臣の前田多門(井深の義父)を社長に据え、井深が専務(技術担当)、盛田が取締役(営業担当)という体制です。
東京通信研究所を開設
井深大が日本橋・白木屋3階に看板を掲げ、旧日本測定器の同志約20人と再出発しました。
東京通信工業を設立
資本金19万円、社員20数名。設立趣意書に「愉快なる理想工場の建設」を掲げました。
日本初のテープレコーダーG型を発売
民生用製品を手がけるという構想が形になり始めます。
日本初のトランジスタラジオTR-55を発売
小型化技術が世界市場への足がかりになりました。
社名をソニーに変更
世界で通じる社名として、ラテン語のsonusなどに由来する造語が選ばれました。
トリニトロンカラーテレビを発売
独自方式で世界的な市場地位を確立しました。
ウォークマンを発売
個人が音楽を持ち歩く文化を生み出しました。
ゲーム事業に参入
PlayStationが世界的なプラットフォームへ成長していきます。
ソニーの主な沿革
この設立時に井深が自ら起草したのが、経営史に残る設立趣意書です。目的の第一に掲げられたのは、次の一文でした。
「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」。
食糧の確保すら困難な時代に、利益計画でも生存戦略でもなく「技術者が自由に力を発揮できる愉快な理想工場をつくる」と宣言している。この志の高さが、後に多くの経営者や研究者の心を捉えることになります。
井深には戦中から構想がありました。「生き残って新しい仕事が始められるなら、その時こそ一般の大勢の人々を相手にしたコンシューマー・プロダクトをやろう」。1950年の日本初のテープレコーダー、1955年の日本初のトランジスタラジオ、1979年のウォークマンは、すべてこの構想の延長線上にあります。
Founder's Words
「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」
井深大
1946年の設立趣意書の第一項です。「自由闊達」という言葉はいまもソニーの企業文化を語る際に必ず引かれます。理念が後付けのスローガンではなく創業時の文書に残っている、稀有な例です。
ソニーの創業は、「どんな会社にしたいか」を最初に言語化することの力を示しています。80年経っても引用され続ける文書を、資本金19万円の時点で書いていた。理念とは規模が大きくなってから作るものではない、という実例です。
候補者にソニーを語るとき、製品や事業領域の説明の前にこの設立趣意書の一文を伝えると、企業文化への理解が一段深まります。企業の現況はソニーの企業ページをご覧ください。
ソニーは終戦直後、井深大が日本橋の焼け残った百貨店3階に掲げた「東京通信研究所」の看板から始まった。新聞記事を見た盛田昭夫が加わり、1946年に資本金19万円・社員20数名で東京通信工業を設立。設立趣意書の第一に掲げられた「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」は、80年を経てなお同社の文化を語る言葉であり続けている。
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