江口新(えぐち・あらた)は、ベイカレント・コンサルティングの創業者です。
江口新(えぐち・あらた)は、ベイカレント・コンサルティングの創業者です。1998年、神奈川県藤沢市で有限会社ピーシーワークスとして事業を始めました。当初はIT人材の派遣・SESに近い事業で、現在の戦略・DXコンサルティングとは性格が違います。
この人物について公に語られている情報は多くありません。メディアへの露出がほとんどなく、2016年の上場時点ではすでに経営から退いていました。それでも筆頭株主として大きな株式を保有し続けている点で、創業者としての立ち位置は明確です。
創業時の事業は、現在のベイカレントとは異なります。IT技術者を顧客に配置する形が中心で、人月で請ける構造でした。2006年の商号変更は、そこから上流のコンサルティングへ移るという宣言です。ただし名前を変えても収益構造はすぐには変わりません。2012年2月期は売上約101億円に対し経常利益が5億円に届かず、規模は伸びても稼ぎ方は変わっていない状態でした。人材とコンサルは近い産業ですが、単価の決まり方が違います。人を送る事業から、判断を売る事業へ移るのは、社名を変えるより難しいということです。
2011年、マッキンゼーでBTO(ビジネス・テクノロジー・オフィス)日本共同代表を務めた萩平和巳が入社します。翌2012年、江口は社長を退き、萩平が代表取締役社長に就きました。オーナー創業者が、外部から来たプロ経営者に経営を渡したという承継です。これは簡単な判断ではありません。自分が作った会社を、入社1年に満たない人物に任せる。しかし結果として、この交代が2014年のMBO、2016年の上場への橋渡しになりました。
事業を立ち上げる力と、組織を次の段階に引き上げる力は別のものです。ゼロから顧客を取り、人を集め、売上を作る局面では創業者の推進力が効きます。しかし収益構造そのものを作り替える局面では、業界の型を知っている人のほうが速い。江口の退任は、この違いを認めた判断だと読むことができます。ソニーの井深大と盛田昭夫、ホンダの本田宗一郎と藤沢武夫のように、役割を分けるという形もあります。江口が選んだのは、自ら降りるという形でした。
創業者の多くは、メディアに出て事業を語ります。それが採用にも資金調達にも効くからです。江口についての記事はほとんど存在せず、経歴の詳細も公になっていません。会社は有名でも、創業者は知られていないという状態です。これ自体は良し悪しの話ではありません。会社と創業者の知名度は別のものであり、経営から退いた後に表に出ないことを選ぶ創業者もいる、という事実として捉えるべきです。
同じファームから出た金山泰英CEO(ベイカレントに11年在籍後、2018年にDirbatoを創業)も、インタビューには応じる一方で顔写真を公開していません。語ることと、姿を見せることは別だという判断が、二人に共通しています。
ベイカレントへの転職を支援するとき、現在の同社と創業期の同社はまったく違う会社である点は押さえておく価値があります。IT人材の派遣に近い出自から、戦略・DXのコンサルティングへ移行した経緯があり、その移行を主導したのは創業者ではなく外部から来た経営者でした。
候補者が「コンサルファーム」として同社を見ているとき、出自と現在の事業の距離を説明できると、志望動機の解像度が上がります。ベイカレントの創業ストーリー、マッキンゼーとあわせて読んでください。
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