ユニクロの1号店が広島に開いたのは1984年6月2日。開店前から行列ができ、店は客であふれました。父から継いだ山口県の小さな紳士服店を出発点に、この一店舗の成功が世界的アパレル企業への道を開きます。
※本記事は当該企業の公式サイト(沿革・創業ストーリー)、有価証券報告書、Wikipedia日本語版・英語版、経営者インタビュー記事等の公開情報をもとに編集部が構成しました(2026年9月時点)。年次は資料により差異がある項目があり、複数の出典で確認できた年を採用しています。
柳井正は1949年、山口県宇部市生まれ。父が営んでいたのは紳士服店「小郡商事」でした。
早稲田大学を卒業後、ジャスコ(現イオン)に入社しますが9か月ほどで退職。1972年、父の会社に入社します。しかし入社してまもなく従業員のほとんどが辞めてしまい、柳井は否応なく実質的な経営を担うことになりました。
紳士服の商売は、接客に時間がかかり、在庫も重い。柳井は別の売り方を模索します。そこで着目したのが、カジュアルウェアを本や雑誌のように、客が自分で選んでレジに持っていくという形でした。
1984年6月2日、広島市に「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」1号店が開店します。略してユニクロ。「ユニークな衣料品の倉庫」という意味です。
開店の朝、店の前には行列ができていました。カジュアルウェアが豊富に揃い、店員に声をかけられることなく自分で選べて、価格も手頃。当時の日本のアパレル店にはなかった買い物体験でした。
この1号店の成功が、その後のすべての起点になります。1991年9月、社名を小郡商事からファーストリテイリングへ変更。「小売業をすばやく行う」という意味を込めた社名で、郊外型店舗の全国展開へ舵を切りました。
柳井正、山口県宇部市に生まれる
父は紳士服店・小郡商事を営んでいました。
小郡商事に入社
従業員の多くが辞め、まもなく実質的な経営を担うことになりました。
ユニクロ1号店を広島に開店
「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」。開店の朝から行列ができました。
社名をファーストリテイリングへ変更
「小売業をすばやく」という意味を込め、全国展開へ舵を切りました。
広島証券取引所に上場
原宿店を出店しフリースが大ヒット
都心進出と低価格高品質の両立で、全国的なブームを起こしました。
海外1号店をロンドンに出店
グローバル展開の始まりです。
SPAモデルを確立
企画から製造・販売まで一貫して手がける体制で、品質と価格を同時に管理しています。
ファーストリテイリングの主な沿革
転機は1998年の原宿店出店とフリースの大ヒットでした。郊外型のチェーンから都心へ。そして1,900円のフリースが社会現象になります。
この成功が示したのは、低価格と高品質は両立できるという事実でした。それを可能にしたのがSPA(製造小売業)のモデルです。企画から素材調達、製造、物流、販売までを一貫して自社で管理する。中間マージンを削るだけでなく、品質そのものを設計できることが本質的な強みでした。
2001年にはロンドンに海外1号店を出店。「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」というステートメントのもと、グローバル展開が始まります。
Founder's Words
「一勝九敗」
柳井氏の著書のタイトルであり、経営姿勢を表す言葉です。挑戦の多くは失敗するが、一つの成功が事業を変える。実際にファーストリテイリングも、野菜事業やスポーツクラブ事業など複数の撤退を経験しています。
ファーストリテイリングの創業は、「継いだ事業を、別の事業に作り替える」という物語です。父の紳士服店をそのまま続けるのではなく、売り方の常識を変えることで別の会社にした。事業承継を検討する候補者には、この視点が参考になります。
そして1984年の1号店の行列という具体的な情景。企業を語るとき、抽象的な戦略の説明より、この一場面の方が候補者の記憶に残ります。企業の現況はファーストリテイリングの企業ページをご覧ください。
ファーストリテイリングは、柳井正が父から継いだ山口県の紳士服店・小郡商事を出発点とする。1984年に広島で開いたユニクロ1号店は、カジュアルウェアをセルフサービスで選べる店として開店朝から行列を作った。1991年の社名変更で全国展開へ舵を切り、1998年のフリースとSPAモデルの確立が世界企業への道を開いた。
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